○藤井接骨院ストーリー
私がこの仕事に就くことになったのは中学一年生の夏、母をガンで亡くしたことに由来します。余命3ヶ月と言われ、父は母のために漢方を探し”効く”といわれたものは買いあさり、母に飲ませました。そのおかげで母は4年も永らえました。そのとき母に飲ませたのがサルノコシカケでした。父のあきらめない努力に感動しました。
その後、私は念願のバイオ研究所に入社し遺伝子や細胞融合に関わる研究をしました。もちろんサルノコシカケも、しかし、私が調べていたガンに効くかもしれない成分はすでに他の研究機関で研究済でした。
何か人を助ける仕事はないのかと考えていたある日、父に柔道整復師(接骨院)という仕事があるよと教えてもらいました。人の命に関わる病気を治す仕事とはいかないまでも、直接患者さんに触れて腕一本で人を治療するというのがカッコイイと思いました。
その後、岡山から大阪の天王寺に出てきました。そこの整骨院で丁稚(でっち)奉公(ぼうこう)しながら接骨院の学校に通いました。給料は月7万円、家賃 38000円、残り32000円の中から光熱費、電話代、食費を払うのはしんどかった。月末になるとお金もなく米が買えないときもありました。午前中は整骨院で勤務し昼から学校に行き、17時には整骨院に戻り仕事する。この繰り返し。最初の2年間の昼食は毎日毎日卵かけゴハンだけでした(お金がなかったから)。卵かけゴハンはもう食べたくないなー。
その後、整骨院の学校も一番で卒業し、国家試験も一発合格して柔道整復師になり、吹田市で整骨院の分院長を3年勤め、その3年の間は昼休憩に鍼灸の学校に通いました。鍼灸師の資格も一発合格し、2001年(平成13年)5月19日東三国に開業しました。
現在は皆様のお陰で○藤井接骨院も地域ダントツ一番の治療院という自負と過信のもと、たくさんの方に支えられ成り立っています。2004年12月には3人目の子供が誕生しました。今は離乳食を食べるようになりました。
○藤井接骨院はこれからもあなたの○藤井接骨院であります。来て頂いている皆様への責任として、これからも○藤井接骨院は発展拡大、質の向上と共に、気楽に来院できるフレンドリーな治療院を目指します、どうぞ末永くご愛顧よろしくお願いします。
2005年6月吉日 藤井 敬大